地震により閉鎖された首都高と渋滞の一般道、徒歩で帰宅する人々(2011年3月11日)
2014年3月11日。火曜日の11日。あの金曜日の11日から3年が経った。未曾有の大震災をリアルタイムで経験した私は、その日を境に何らかの価値観が変わったのかもしれないが、未だ不便を強いられている被災地の方々と違いその実感はあまりに薄くなりつつあるのも実情だ。
そのような葛藤のなか、昨日このようなウェブサイトを見つけた。「今日は2011年3月10日かもしれない。」一瞬思考をめぐらせたのち、何を言わんとするか合点した。私達が日々過ごしている今日は、まだ何も知らなかった2011年3月10日と同じ状況なのだろう。それは今もずっと続いている。
人は忘れがちだ。3月11日14時46分は誰もが心に記憶したに違いない瞬間であるにもかかわらず、それでも人は自然と遠のいていく。当時の足の震えから、当時の非日常から、当時の人のつながりから。それぞれの3月10日を思い返し、今日がその日と何ら変わりないということを改めて思い知らされる。
Twitterへの投稿によると、私はまだ大学生だった2011年3月10日は体調不良で通院していたようだ。その他にも実に平時らしい「ツイート」が残っていた。
昨日、クリニックでレントゲンと血液検査受けて、肺炎じゃないとのことで、百日咳の血液検査は1週間くらいかかると。それにしても初めてステロイド吸入器処方されたけど、これハイテク?だねー。60回カウンター付いてて、回数来たらキャップロックとか。すげー。
— ふじりゅー (@Fujiryu_) March 10, 2022
さて、私は昨年の2周年に際して「今あるツールを知り、いざというときに備える。」という記事のなかで、ライフラインである携帯電話事業者の大規模災害に対する取り組みについて一部を紹介しつつ、一人ひとりが正確な情報を知り他の誰かに伝達する強さを強調した。
私はインターネットが絶対だとは思わない。インターネットがフルに使えようと、それと無縁の環境だろうと、今でもラジオこそ最大の災害対策ツールだと考える。ただしそこで、災害時に隣で困っている、不安を感じている人に対して大丈夫だよ、ここなら安全だよ、あそこなら大丈夫だから一緒に行こうとあなたが教えてあげられるために、あともう1つあなたが詳しくなることも悪くない。
そして事業者の現在のプロジェクトは、より前向きな復興・新生事業へと移りつつある。今年も各社の取り組みについて少しご紹介したい。
NTTドコモは、「笑顔の架け橋Rainbowプロジェクト」と題した東北復興・新生支援を行っている。このプロジェクトでは岩手県・宮城県・福島県の特産品を購入できたり、東北各地からの復興レポートを掲載している。
ソフトバンクグループは、復興支援特設サイトを設け、利用料金から継続的な寄付ができる「チャリティホワイト」での被災地支援の様子や、被災地の高校生を対象としたカリフォルニア大学への無償短期留学プロジェクト「TOMODACHI ソフトバンク・リーダーシップ・プログラム」の紹介をしている。
また、各キャリアは独自または共同で通信インフラの災害対策を固めているなか、昨日興味深いニュースが入った。KDDIは、新たに陸上自衛隊中部方面隊と「陸上自衛隊中部方面隊とKDDI株式会社との間の災害時における通信確保のための相互協力に関する協定」を締結。陸自が被災地における通信手段の確保活動に物資の輸送や物資および機材の貸し出し等の協力をする一方、KDDIは同隊に災害時における復旧、人命救助活動に必要な通信手段を優先的に提供する協力関係を作った。
震災から3年、様々なインフラが、各方面の絶え間ない努力により復旧を遂げようとしているが、それでも、避難生活を強いられている約27万人の被災者の方々をはじめ、震災が影響して就学が困難な児童や生徒約5万8,400人、もとより大震災・津波の犠牲となった1万5,884人、依然行方がわからない約3,000人の方々とその家族が感じている状況を少しでも和らげるために何が出来るのか。
大震災からの復興、そして新興の行方が日本中に問われている。
参考:
★NHK
関連:
★東日本大震災から2年(アーカイブ)
★東日本大震災から1年。携帯電話、生きるための災害対策を知る。(アーカイブ)